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土佐藩の身分制度はなぜ厳しい?

上士と下士~土佐藩の身分制度

藩主 山内容堂(豊信)
上士 参政・家老 吉田東洋・後藤象二郎(東洋の甥)
家老格  
上席中老 弥太郎は38歳の時に中老格である「少参事」に出世
下席馬廻  
新馬廻  
上席小姓組 (龍馬伝の劇中で吉田東洋が坂本龍馬を抜擢し与えようとした身分)
下席留守居組  
新留守居組  
下士 白札 武市半平太(瑞山)※上士と同じ扱いの下士
郷士 坂本龍馬・岡田以蔵など(弥太郎は27歳で郷士株を買い戻し郷士へ
徒士
徒士格
下席組外
古足軽
足軽 農民など
下足軽
庄屋
地下浪人 岩崎弥太郎(生まれた時)祖父が郷士株を売った為

※実際にはもっと細かく分かれていたそうです。

土佐藩の階級差別が大きかったわけ

土佐藩では他の藩とは違った特殊な身分制度があり、厳しい身分差別があったといわれています。

土佐藩の藩主、山内家は関ヶ原の戦いで東軍に付き、その功績が認められて「土佐国」を任されることになったのです。つまりは関ヶ原の戦いの後に土佐藩の藩主になった事になります。以前土佐を治めていたのは長宗我部家(ちょうそかべけ)でした。

「上士(上級藩士)」は関ヶ原の戦い以前からの山内家の家臣がなったものです。

古くからいた長宗我部家の家臣などは「下士(下級藩士)」という扱いを受けます。

これは新しく治める「山内家」に対し、古くからいる「長宗我部家」の残党に、国内で謀反などを起こさせないようにする処置であったかもしれません。

とはいえ、関ヶ原の戦いより約200年間も下士として身分差別を受けていたので、土佐勤王党や坂本龍馬、岩崎弥太郎の時代には不満が積もり、我慢の限界だったかもしれませんね。

激動の時代となり、上士や下士等にこだわっている場合ではないという機運と身分制度を変え、自分たちも土佐国の役に立ちたいという思いが下士であった土佐勤王の原動力になったのではないでしょうか。

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下士の身分(白札・郷士・地下浪人)

農民も下士の一部であるという制度で戦になれば侍として働きます。(「足軽」などは農民です)。

下士の中でも「郷士」と呼ばれる身分が「長宗我部家」に縁のある侍になります。下士には下駄や日傘を差すことが認められていませんでした。また、上士の町に入ってはいけないとのルールがあったのです。

郷士の中で半に功績を挙げた家臣はと呼ばれる下士の最も高い「白札」身分に取り立てられ、上士と同じ扱いを受けます。武市半平太(瑞山)は白札の身分でした。「白札」は上士に意見書を書くなどの権利があり、日傘や下駄も主人のみ許されたそうです。

岩崎弥太郎は一番下の「地下浪人(じげろうにん)」の家に生まれます。

地下浪人とは生活に困窮して「郷士株」を売った身分のことです。(しかし40年以上郷士であった家には名字・帯刀が認められていましたので、弥太郎は名字も刀も差しているのです。)

「郷士」は「郷士株」を買えば誰でもなれる身分でした。(農民から侍になることもできた)坂本龍馬の家は商家から「郷士株」を買って侍になった家です。

岩崎弥太郎は27歳頃に先祖の売った「郷士株」を借金をして買い戻しています。

また、その後は功績を認められ中老格の「少参事」になり廃藩置県で「土佐藩」が無くなるまでまで「上士」でした。

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