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資本主義の父

渋沢栄一について

渋沢 栄一(しぶさわ えいいち、天保11年2月13日(1840年3月16日)- 昭和6年(1931年)11月11日)後に日本の「資本主義の父」と呼ばれる実業家。享年91歳。

天保11 年(1840年)2月13日、武蔵国榛沢郡血洗島村(現埼玉県深谷市血洗島)に父・市郎右衛門、母・エイの長男として生まれる。藍玉の製造販売と養蚕を兼営し米、麦、野菜の生産も手がける大農家の出身。

勉学・剣術などをに励み、一時期尊皇攘夷に目覚めるも、縁あって一橋慶喜の家臣になる。その後慶喜が将軍になり徳川慶喜の家臣になる。その後将軍の名代としてパリを視察・留学する。

帰国後、大隈重信に説得され大蔵省に入省。しかし、その後対立し退官。

第一国立銀行(現みずほ銀行)の頭取に就任。地方銀行の設立を指導。

銀行以外の500以上の企業とも関わり、資本主義の父と言われる。

明治の財閥創始者とは異なり財閥を作らず、私利より公益を優先した。財閥を立ち上げた人物が「男爵」止まりなのに対し、渋沢は「子爵」の位を授けられている。

社会活動も熱心で日本赤十字の設立や聖路加国際病院の初代理事なども務めた。商業教育にも力を入れ商法講習所(現一橋大学)・大倉商業学校(現東京経済大学)の設立に協力。早稲田大学・二松学舎(現二松学舎大学)・学校法人国士舘(創立者・柴田徳次郎)の設立・経営に携わる。また同志社大学(創立者・新島襄)への寄付金の取り纏めに関わった。また、女子の教育の必要性を考え、伊藤博文、勝海舟らと女子教育奨励会を設立し、日本女子大学校・東京女学館の設立に携わった。1926年と1927年にノーベル平和賞の候補にもなっている。日本国際児童親善会・中華民国水災同情会会長など民間外交の先駆けともなった。

経済道徳合一主義について

「経済を発展させたら利益を独占するのではなく、国全体を豊かにする為に使用すること。社会に還元すること。」渋沢栄一の理念。「論語と算盤」にしるし、自身も実践しています。幼少期に学んだ論語から強い影響を受けた考え方です。渋沢栄一はこの考えから岩崎弥太郎を批判しています。

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